めす がき が あらわれ た。 昔の茨城弁集/茨城方言大辞典/こ

二筋ぞ。 高い山は 『たかけやま』と言う。 「わたしはそうおもいません。

7

いちばんおしまいのシャボンだまは、風にゆられながら、まだパイプのところについています。 ところが、これがため、よけい 下界 ( げかい )のわざわいになったというわけは、鏡のかけらは、せいぜい砂つぶくらいの大きさしかないのが、世界じゅうにとびちってしまったからで、これが人の目にはいると、そのままそこにこびりついてしまいました。 (ム)であるぞ。

20

足ふみばかり。 ところで証空はの思想をもって、聖道浄土の二門を見ていたこともすでにのべたところである。

19

かぜでもしーたんだねーのがー。

2

観門とは、弘願を能詮する釈尊の教門、すなわち定散二善十六観をさし、弘願とは、観門所詮の他力の法体であると同時に、観門も、さらにいへば随他方便の教説である行門も、そこから成立するような法門の根源である弥陀教をさしていた。

2

そんなくらいなら、あたい、じぶんでおまえをころしてしまうわ。

14

第七帖 今度は先づ心の建直しぢゃ、どうしたら建直るかと云ふこと、この神示読んで覚りて下されよ、今度は悪をのうにするのぢゃ、のうにするは善で抱き参らすことぢゃ、なくすることでないぞ、亡ぼすことでないぞ、このところが肝腎のところぢゃから、よく心にしめて居りて下されよ。 面白いのは、九州では太いことを 『ふとかー』、強いことを 『つよかー』というのも、形容詞の語法を標準語より柔軟に広く使った事例である。

4

上も下も右も左も皆自分のものぞ。 自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。 善悪ないぞ。

13