川上 慶子。 1985年夏「日航機墜落事故」、発生直後に駆けつけた3人が目撃したもの(週刊現代)

翌朝、義弟2人と鹿児島空港から飛行機で群馬へ向かった。 慶子さんの妹さんもしばらくは会話していた。 毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。

そしてこの事故、事件が風化してしまわないように 振り返ってみることにします。

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事故の生存者4人の一人、川上慶子さんと兄の千春さん。 筆者は、事故当時ヘリで救出される模様が テレビで映し出されていた川上慶子さんと同じ年代でしたので 同じ年頃の子がとんでもない目に遇っている。 家には何度もいたずら電話がかかってきた。

パイロットはこの事態に対して、緊急事態を宣言して、直ちに羽田空港に戻ることを管制塔に要請しました。 それが時間が経つにつれて成す術なくみんな亡くなっていって一人残されるなんて こんな悲惨な時間はなかっただろうな。

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現場からは「対策には限界がある」との声も上がる。 事故の規模の大きさにより、日航機墜落事故や日航ジャンボ機墜落事故と言った場合でも、この事故のことを指します。

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それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。 機長はこの異常事態が発生した後、急場を要する事態だと判断して管制塔へ緊急SOS信号を発信し、羽田空港へ戻ることを申し入れました。 (略) fa-calendar 2020年08月12日 05時56分 fa-commentネット上のコメント ・ 絶対に許せない ・ あの時の川上さんの怯えた表情が今でも思い出される。